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柴又帝釈天について

当山の文化財について

東京都指定天然記念物(植物)
瑞龍のマツ
(ずいりゅうのまつ
) 


所在地 葛飾区柴又7丁目1751番1
指 定 平成28年3月11日
 

「帝釈天」の名で知られる経栄山題経寺。その参道から二天門をくぐって境内に入ると正面に帝釈堂が建っており、その帝釈堂の手前、向かって左に生えているのが瑞龍のマツです。

幹は上方にまっすぐ伸び、大枝は北、南、西の三方に長く伸びています。そのうち、西の枝は、石畳に沿うように伸び、南北の枝は帝釈堂を守護するかのように庇の前に伸びています。その生き生きとした姿は、頭を空に向け、尾を西に伸ばして天に昇る「龍」のようです。

縁起によると、題経寺は寛永6年(1629)創建で、開基の日栄上人が柴又に寄った際、見事な枝ぶりのマツと、その下に霊泉が湧いているのを見つけ、この地に庵を設けたことがその始まりとされています。この時に日栄上人が見た木が、瑞龍のマツとされています。

瑞龍のマツは、帝釈堂正面と一体となって景観をなしており、また帝釈天題経寺の創建の由来を伝える銘木、巨木として重要です。

 

平成29年3月建設

東京都教育委員会

東京都指定名勝
題経寺邃渓園
(だいきょうじすいけいえん

所在地 葛飾区柴又7丁目1751番1
指 定 平成28年3月11日
 

邃渓園は、題経寺寺域の東、約2,000平方メートルの広さをもつ寺院庭園です。その歴史は、大正15年(1926)発行の『東京府下帝釈天境内全図』に庭園が描かれていることから、その前後に作庭されたと思われます。その後、庭園は昭和初期に第16代観明院日済上人より依頼を受けた庭師、永井楽山(1880〜1971)が大幅に手を加え、昭和40年(1965 )、ほぼ現在の姿に完成しました。

元々は、昭和4年(1929)に落成した大客殿から眺める座観式庭園でしたが、昭和35年(1960)に大回廊が建てられ、現在は大客殿の広縁を通って回遊することができます。

東西に長い庭園敷地は、その北側半分を池泉とし、北西に築山、北東に中島を配しています。築山頂部から流れる滝は二段落ちで、池側に張り出した汀線や中島により、流路は大きく蛇行しているように見え、東端の流末に至ります。永井楽山は、この滝がもつ幽邃な風情から、本庭園を「邃渓園」と名付けました。

庭園南側は開放的な芝庭で、大客殿より嵩上げすることで、芝がより近くに見えるような錯覚が起ります。この錯覚は、奥の池泉を大きく感じさせる効果もあり、大客殿広縁からの景色に奥行きが生まれるのです。

瀬戸御影石や京都加茂川の赤石、京都桂川の自然石を使った蹲など、庭園には名石がふんだんに使われています。また、園池南東には、茶室「不答庵」が設けられています。

永井楽山作庭の邃渓園は、様々な技巧を配し、東京低地の一画に幽邃な渓谷を再現した芸術的価値の高い寺院庭園です。

平成29年3月 建設

東京都教育委員会

柴又帝釈天photo
柴又帝釈天photo
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