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柴又帝釈天について

沿革大要(造営史)

古い記録によると、文化文政(1803年~1829年)の時代には、すでにこの場所には六間四面(ろっけんしめん)のお堂、「帝釈堂」が建っていたと伝えられています。

正面の小さな山門をくぐり、石畳の道を進んでいくと、正面奥にその帝釈堂がありました。お堂の前には「瑞龍の松(ずいりゅうのまつ)」という立派な松の木が立っており、帝釈堂の右手にはご本尊を祀る祖師堂、左手には住職の住まいである庫裡(くり)があったようです。

柴又帝釈天彫刻

明治21年

此処の建物は相当壊れていたので当時の13代日貞上人は先ず本堂の拝殿を建て替えました。その時には庫裡も新築しました。

明治29年

14代日孝上人は現在の二天門を完成させました。

大正4年

15代日担上人は帝釈堂内殿の造営を遂げて、当山は伽藍として立派な規模になったのです。

昭和4年

16代日済上人は帝釈堂拝殿と大客殿の造営を、完成させました。現在、帝釈堂を取り囲む法華経絵巻を題材とした胴羽目彫刻十枚と大客殿の南天の間とは、上人のお力によって完成されたものです。

昭和27年

17代太玄院日滋上人は祖師堂の大改修、ルンビニー幼稚園を完成させました。

昭和30年

大鐘楼堂を完成。

昭和35年

大回廊を完成。

昭和40年12月

大客殿前庭を大改修して邃渓園と名付けました。

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